【文:Kai Ping Fang】 【編集:下山敬之】
【写真:Kai Ping Fang、Te Fan Wang】
台北の中心部にある松山文創園区は、文化的価値を持つ隠れた名所です。かつてタバコ工場として賑わったこの史跡は、創造性、革新性、芸術的表現をするための華やかな拠点へと進化を遂げました。この産業遺産の転用が功を奏し、アーティストやデザイナー、起業家を惹きつけ、歴史的なランドマークに新たな息吹が吹き込まれたのです。
松山文創園区は単なる文化的拠点ではなく、台湾の創造精神と豊かな歴史を守る象徴的な場所でもあるのです。この公園は、台北の歴史的・文化的名所に囲まれた、非常に重要な位置にあります。交通の便が良いため、国父紀念館、台北 101展望台、象山自然歩道、饒河夜市などの観光スポットにも簡単に足を運べます。歴史とイノベーションが融合した松山文創園区は、地元の人々や観光客にとって必見のスポットとなっています。
松山文創園区の物語を紹介するにあたり、今回ガイドを務めてくださったのは、友人の紹介でガイドの世界に入った退役軍人の張正北(ジャン・ジェンベイ)氏です。ガイドの仕事に興味を持った張氏は、自ら調査や提案を行い、ボランティアとして複数の地域で活動するようになりました。張氏はその文化探求への情熱から、文化部より「全国優秀文化ボランティア銅賞」、台北市政府より「優良志工金鑽獎」など、数々の賞を授与されています。そんな張氏からこの公園の過去と現在を教えて頂きました。
タバコ工場からクリエイティブの中心へ
張氏はまず、松山文創園区(旧名:松山菸廠)の歴史について説明してくれました。この工場は日本統治時代の 1937年に建設され、 1998年に閉鎖されるまで、台湾最大のタバコ加工工場でした。西洋と日本のスタイルを融合させたこの工場は、当時の最新技術を駆使し、労働者の衛生と安全を重視していました。台湾が中華民国に返還された後は1980年代まで国営企業となりますが、喫煙に対する意識の変化から経営難に陥ります。最終的に工場は1998年に閉鎖され、文化・クリエイティブ産業への転用のために、 2011年に一般公開されるに至りました。
建築様式は「分離派」の「初期日本モダニズム」です。直線や平面を強調した構成、簡素で優美なフォルム、レンガやタイル、銅釘などの特注した建材が特徴です。精巧に造り上げられた松山タバコ工場は、台湾の近代的な産業工場のパイオニアであり、モデルとなっています。
新たな都市計画、タバコ産業の状況の変化、喫煙が与える有害な影響に対する認識、競争力の欠如などの要因から、最終的に工場は閉鎖されましたが、その歴史的意義は今も変わっていません。現在では文化とクリエイティブの拠点として保存され、一般の人々が楽しめる空間となっています。
葉タバコを紙巻きタバコへ
張氏によれば、松山タバコ工場での加工は、箱作り、葉の加工、カット、巻き、包装の5段階に分類できるそうです。葉タバコは施設に届くとすぐに、各加工部門がある北、東、南の外部の建物へと運ばれます。
施設内を歩きながら、張氏が葉タバコの加工工程を説明してくれました。「まずは葉タバコの選別と加工の準備に取り掛かります。到着した葉は、品質、サイズ、種類で選別され、カビが生えないよう温度や湿度に配慮した特別な部屋で熟成されます。その後、乾燥した葉を細かくカットし、適した味と香りになるようブレンド。そこから生産ラインへ送り、紙に巻いてカートンに梱包されます。全ての工程は自動化されていて、熟練した労働者が監督をすることで、製品の品質が維持されていました」。
「松山タバコ工場は日本と台湾の両政府にとって、大きな経済的価値がありました」と張氏は言います。日本統治時代、この工場は兵士や民間人にタバコを供給していました。台湾が中華民国に返還された後には雇用を創出し、国民の収入源となったほか、政府の歳入を増やすなど、台湾の経済発展に寄与しました。タバコ産業に対する監視は厳しくなっていますが、台湾の産業発展に関係する松山タバコ工場は、現在も重要な史跡として残り続けています。
工場内のコミュニティ
最盛期の松山タバコ工場は単なる工場ではなく、一つのコミュニティでした。労働者の確保と維持のため、住宅、育児、医療、公衆浴場、食堂など、さまざまなサービスが総合的に提供されていたのです。例えば、敷地内には広大な住宅地があり、独身者と既婚者それぞれに寮とアパートが割り当てられていました。その中でも特に重視されたのが保育です。子供たちに安全で安心できる環境を提供するだけでなく、彼らの発達を促すための教育活動やレクリエーション活動も行われました。また、軽度の病気や怪我、重篤な病気を治療する診療所も併設されていましたし、労働者同士の連帯感や仲間意識を育てるため、文化活動やレクリエーション活動も企画されていました。
「松山タバコ工場が提供したこれらの総合的なサービスは、労働者だけでなく、会社や政府にとっても有益でした」と張氏は指摘します。住宅、育児、医療を提供することで、安定した労働力を確保することができ、会社を継続的に成長させることができたのです。さらに、これらのサービスは従業員や地域社会の福祉に貢献しようとする会社の姿勢を示すものであり、消費者や規制当局からの好意と信頼の獲得にも繋がりました。これは、厳しい規制や監視の目が向けられる当時のタバコ業界では、特に重要なことでした。
大地の女神を祀る寺院
台湾の各地には、「土地公」という土地神を祀る寺院があり、宗教的・文化的に重要な場所です。「土地公」は基本的に単体か、妻である「土地婆」とともに祀られます。しかし、松山文創園区には台湾では非常に珍しい「土地婆」だけを祀った寺院が、古いガジュマルの木の下にあります。
貴重な寺院であるにもかかわらず、その起源と目的は謎に包まれています。この寺院がいつ建てられたのか、なぜ建てられたのかを知る人はいません。「もしかしたら、男性従業員よりもはるかに多かった女性従業員のニーズに応えて造られたのかもしれません」と張氏は推測します。「やはり女神の方が、彼女たちが抱える特有の問題や経験をより深く理解し、共感してくれると考えたのでしょう」。
遺産とイノベーションの融合
松山文創園区は、歴史の保存とクリエイティビティの促進に大きく貢献しています。例えば、「南向製菸工廠」の2階には、クリエイターとその独自性を支援する「松山クリエイティブハブ」があります。この施設は、クリエイティブな交流、リソースチェーン、イベントキュレーション、国際交流のための空間として利用されているほか、競争力の強化や、文化を創造する集団の形成にも役立っています。
このような歴史的・文化的重要性のある施設の運営には、古いものと新しいもの、ビジネスと文化、イノベーションと保存のバランスをうまく取る必要があり、それにはビジョン、コミュニケーション、プランが不可欠です。園区内では空いているスペースにカフェやマーケット、展覧会を催すことで、この微妙なバランスを保っています。
例えば、かつてのボイラー室には、「Cama Coffee Roasters」というカフェがありますし、退社時にボディチェックを行う検査室は「Pug Pug Food Truck」という食事スペースとなっています。また、本館には台湾設計館があり、新進デザイナーの作品展示「YODEX(新一代設計展)」などが行われています。
特筆すべきは、当初は解体を予定していた託児所の建物が、園区内の池のほとりに移設された事です。施設の外観は木板や基礎のレンガなどを含め、その独特で伝統的な日本建築がそのまま残されています。
「託児所では母親が工場で働いている間、2歳以下の子供を預かっていました」と張氏は語ります。「それが、今のような形で保存されているのは幸運なことです。正しい判断だったと思います」。
かつて託児所だった建物は、現在「Guang Yi Cafe」となり、新鮮な食材を使ったエキゾチックな料理やサラダ、ブランチなどを提供しています。また、建物をうまく使ったディスプレイも特徴的です。保存とイノベーションをつなぐ松山文創園区にピッタリな施設と言えるでしょう。
外観以上に大きな存在
台北は活気に満ちた文化と歴史の町であり、松山文創園区はその精神を完璧に体現しています。かつて歴史的な場所であったこの施設は、新旧が融合した、現代のクリエイティブな拠点へと変貌を遂げました。
ガイドをしてくれた張氏にお礼を述べ、お別れする頃には100年以上の歴史を誇るこの建築が、夕暮れ時の柔らかな光に包まれていました。現在、オープンに向けて準備が進められている「台北ドーム」は、ショッピングモールや映画館、ホテル、オフィスなどを備えた大型多目的スタジアムで、松山文創園区のすぐそばにあります。同じく近くにあり、現在準備中の「国家鉄道博物館」は、廃止された鉄道駅を利用した台湾鉄道史の生きた資料として再生させることが目的となっています。これらの施設が完成した暁には、松山文創園区はさらに魅力的なランドマークとなることでしょう。
適切な計画と管理、そして台北市の支援のもと、若い起業家や地域住民にインスピレーションを与える松山文創園区は、国内の公園のモデルであり、また自然と共存する施設としての好例となる可能性を秘めています。台北が成長・発展し続ける中で、松山文創園区はこれからも台湾の地元意識、クリエイティブ産業、環境文化の振興に重要な役割を果たすに違いありません。
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